ワーママ2世としての悩み

私を苦しめる、ワーママとしての親の姿

私の母親はもうすぐ60歳、今までずっとフルタイムで働き続けてきています。彼女は、いわゆる「男女雇用機会均等法第一世代」と呼ばれる世代で、端的に言うと、死に物狂いで仕事と子育てを両立させ、自分の労働市場における立場を死守してきた人です。均等法ができるまでは、「女性はお茶汲み、結婚したら寿退社」が当たり前の世界。そのような感覚が強く残っている社会において、いわゆる総合職として就職し、「どんなもんか」と常に評価の視線に晒されながら男性と同じフィールドで働いてきたという時代背景を考えると、その苦労は相当なものであったと想像できます。実際に、私の子守唄は母が夜な夜な仕事をする時のタイピング音だったし、土日に親のオフィスへ一緒についていってお絵描きしながら終業を待つこともよくあったし(色々緩かった時代!)、旅行先でも毎日パソコンで仕事をする母親を見てきました。私が大きくなってからは、母の帰宅は基本的に日付が変わってから、センター試験の日にも海外出張で母は不在という24時間企業戦士ぶりでした。

このような働く母を見てきた私も、今は働く母親の一人。そして今、ワーママに育てられたワーママ(ワーママ2世)としての苦しみに直面しています。均等法世代を生き抜いた親に育てられた働くお母さんたち!親達のあの猛烈な働き方、「男性に絶対に負けない」という狂気と、今の自分の働き方を比べて、妙な苦しさを感じませんか?

この働き方では、足りないという感覚

私がワーママ2世としての苦しさを自覚したのは、時短勤務で復帰した時に、親にさらっと言われた「17時ちょうどに退勤して、その後全く家で仕事しなくていいの?それどんな仕事なわけ?」という言葉でした。彼女も企業で働く一人として、最近は育児休業が長くとれたり、時短勤務制度があったりということは知識としてもちろん知っています。しかしながら、全く残業せずに正社員の立場を維持できること、17時ちょうどで退勤できるサポート職以外の仕事があるということを、実体験を持って理解できていないため、先のような発言がさらっと出てきてしまうのです。この親の一言を聞いた時に、「そんな働き方は、働いているとは言えない」と言われてしまったような気がして、それ以降というもの、子供の頃に見た母親の働き方を私もしなければ一人前と言えないのではないか、、と悩むようになりました。

真似したくない、でも報いたい

正直、私が見てきた、あの母親の働き方は憧れるものではありません。彼女は、自分の体力や精神力を切り売りして、時には子供のフォローも後回しにして、全てを労働に注ぎ込んでいました。正直、今の時代の流れとは少し逆行するような働き方で、自分のキャパシティ的にも真似したくない、真似できないものです。ただ、時代にそぐわないという理由であの働き方を一蹴できない気持ちもあります。彼女の労働に対する熱意には「女性だからって馬鹿にされたくない」という個人の感情もあったと思いますが、それ以上に「後に続く女の子達のために」という気持ちもあったことを、一番近くで見てきたからです。「大学には必ず行ってね、留学したいならいつでもお金は出すよ」と母は私に口すっぱく言いましたし、今でも「夜遅い会食があるなら、いつでも子守りに行くよ」と事あるごとに言います。今の私には「女性だから」で何かの選択肢が狭まることってあまり想像できないのですが、その経験をしてきた母には、後進としての娘のために、女の子達のために、という気持ちが、時代が変わりつつある今でも強くあるのだと思います。

私にできる、後進のための働き方を模索する

均等法第一世代に育てられた私の感覚は、正直かなり彼女達の意識の影響を受けていると思います。「マミトラでいいや」「育児しながらリスキリングなんて無理」のような話を見聞きすると、「だから女性の役付きが増えないんだよ」「もっと意欲持とうよ」と若干心が乱れます。でも、仕事と育児と家事に追われる毎日の中で「後進のために」なんて大それたことを常に考えていられないし、「仕事辞めたい」「バイトになりたい」と思うこともしばしばです。少子化で労働力がない今の時代、後進のためにとか言ってなくても、否応なく性別に関係なく労働市場に参加せざるを得ないし、別にそんなこと考えなくてもなるようになるのかもしれません。(最近「若い女性は採用しない」と堂々宣言して、話題になっていた方もいましたが!)

均等法第一世代のあの狂気じみた働き方でもなく、均等法第一世代が作ってきてくれた道を閉ざすような働き方でもない、ワーママ2世だからできる働き方があるはず。まだ答えは見つかりませんが、自分の子供にどんな背中を見せていきたいのか模索を続けていきたいと思う、この頃です。