ワーママ2世の憂鬱ーチャンスの順番

母親世代の恨みは想像以上

こちらの記事で初めて書いたワーママ2世の悩み。男女雇用機会均等法時代にモーレツに働いていた母親の背中を追いたいような、追いたくないような、追うことを期待されているような・・・という気持ちを吐露しました。

最近X(旧Twitter)で「各種ハラスメントを気にして若手に強い指導をしない上司が増えおり、自分に厳しい若手以外は全く成長できずに終わっていく」という論が盛り上がっていた様子を見る限り、ワーママ関係なく世代間で「モーレツ労働」に対する感覚にギャップがあるのだろうなとは思います。そう考えると、身近に幼少期からストイックに働く母を見てきた私は、ある種アドバンテージを持っているのかもしれません。いつでもどこでも何時まででも働く母を見てきたことで、労働のイメージの負荷基準が比較的高いためです。

先日、この最近のXでの話題を母に共有したところ、そうだそうだ!とヒートアップ、以下のようなご指摘をいただきました。

・若手は本当にやる気がない、なぜ手を上げない?仕事があることを喜ばない?
・部下に細かい指示を出しすぎると注意を受けるが、やる気も経験もない若手に自由にさせることほど怖いことはない。
・女性登用の割合が決められていることには納得いかない、なぜ?というレベルの女性が昇進する。

マネジメント層の本音ってこんな感じなんだろうなと我が身を振り返りつつ、3点目については少し腑に落ちない気持ちになりました。自分たちが不平等な社会に苦しめられてきたにもかかわらず、後進の女性にチャンスが与えられることをよく思わないなんてどういう事だ?と。

過去の母の話から推測すると、どうも私の母親は「子供を育てながら働く」ということを続けるために、相当に辛酸を舐めてきており、「自分は能力があるのに評価されなかった」という気持ちが強く残っているようです。今の仕事や役職、それに対するフィーにもまるで納得がいっていないことが言葉の端々に現れます(これは側から見ていてもそう思いますが、、)。「社会問題の解決」と「自分が受けてきた扱い」を比べると、どうしても後者によって生まれた感情が優先されるのだなと改めて思います。これは、男性女性関係なく「自分の評価納得していない人」が同様に思う事ですよね。

他の人にチャンスが与えられることを喜べるのは、自分もチャンスを与えられてきた人だけです。

チャンスが来たら乗るのみ

私と母の関係は母子とも言えるし、昭和ワーママと令和ワーママという関係にもなるでしょう。その関係にある2人の会話として上記の母からの指摘を捉えてみると、今後は「ワーママのワーママに対する嫉妬や妬み」が問題になるだろうなと想像できます。これからも社会は変化し続け、若い世代になればなるほど、女性活躍・男女平等の恩恵を受けどんどん出世していくでしょう。労働人口も減るので、労働者本人が出世を望んでおらずマミトラを希望していたとしても、役職がつきます。それはそれで不幸だと思いますが、誰が見ても「この人なら出世する」と思われるような働き方をしていなくても出世していくのです。

私がもし、今後チャンスを与えられず、チャンスが来ても活かせず、出世もしていけなかったら、後からどんどん上に上がっていく、頑張っていないように見える若い女の子たちを素直に祝福できるのでしょうか。素直に祝福できない自分を恥じずにいられるでしょうか。答えはどちらもNOです。私も出世していかないと、今の母のように、不本意ながらも妬み恨みを抱えた中年中間管理職になってしまう。

ここは、私の未来のためにも頑張らないといけない。母の姿に色々と学びつつ、後進の活躍を素直に祝福し、応援できる人でいられるよう、チャンスを掴んでいきたいと思います。私よりもキャリアのあるワーママたちにどれだけ「あいつは下駄をはかされた」と思われても、「上司に気に入られているだけ」と陰口叩かれても、チャンスはものにしていきたいと思います。私がこれからもずっと、社会の変化を心の底から歓迎していけるように。